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初代 長坂 喜平

ミツバチの恩に報いるため、長坂養蜂場を創業。

ミツバチの恩に報いるため、
長坂養蜂場を創業。

初代・喜平は大正元年、8人兄弟の末っ子として生まれましたが、病弱な少年時代を過ごしました。青年期には横浜へ丁稚奉公に行くも、肋膜炎をわずらい入院。自宅へ戻り療養する日々を送っていました。そんな折、喜平の父が趣味で飼育していたミツバチの恵みによって、健康を取り戻すことができました。その体験が原点となり、ミツバチや大自然の恵みへの“感謝”をより多くの人達へ伝え恩返ししていきたいと、昭和10年、養蜂業を始めました。

当時は転地養蜂を行っており、春になると静岡県磐田市のれんげ、三ヶ日みかんに始まり、東北、北海道へとミツバチと一緒に移動していました。時には、青森と北海道をつないでいた青函連絡船のアクシデントに見舞われ、蜂の群れが全滅してしまう苦難もありました。しかし喜平はめげず、コツコツと誠実に品質の高いはちみつをつくり続けました。

天皇陛下(当時皇太子殿下)御一家が浜名湖にご静養に滞在された昭和43年に、地元のお土産として「三ヶ日みかん蜂蜜」が献上の栄を賜るという、大変名誉な出来事がありました。
以来数年にわたりご静養でお越しの際には献上の栄を賜りました。

“自分よし・相手よし・第三者よし”の“三方よし”を信念とし、お客様だけでなく、取引先様や地域を大切にしてきました。そのおかげで、目に見えない信用という大切な土台を長坂養蜂場に築きました。